京都地方裁判所 昭和44年(む)49号 決定 1969年6月02日
本籍、住居、職業、年令とも不詳
被疑者 添付写真の男
(堀川署写真一〇八号)
右の者に対する傷害被疑事件について、京都地方検察庁検察官丸谷日出男がなした弁護人との接見等に関する指定処分に対し、弁護人小野誠之から準抗告の申立があつたので、当裁判官はつぎのとおり決定する。
主文
本件準抗告はこれを棄却する。
理由
一、本件申立の趣旨および理由は、弁護人小野誠之作成名義の準抗告の申立書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
二、検察官提出の一件記録によると、弁護士小野誠之を弁護人に選任する旨の昭和四四年五月二二日付弁護人選任届と題する弁護人選任書が、捜査官に対して差し出されていることを知ることができる。そして、右弁護人選任書には、弁護士小野誠之の署名押印のほか、弁護人選任者の署名と認められるような氏名の記載はなく、ただその選任者氏名欄に「堀川署写真番号一〇八号」という符号文字か記載され、その下部に黒色の指印が押されていることが明らかなので、その趣旨から推して、右は被疑者の選任による弁護人選任書として作成されたものと認めるのが相当である。
三、そこで、前記弁護人選任書の適否について勘案するに、およそ刑事訴訟法上作成される書類のうち、公務員以外の者が作るべき書類には、年月日を記載して署名押印(またはこれにかわるべき指印)しなければならないとされている。(刑訴規則第六〇条、第六一条)したがつて、弁護人選任書についても、その作成名義人である弁護人選任者がこれに署名押印(またはこれにかわるべき指印)しなければならない。もつとも、被疑事件の段階における弁護人選任行為は、公訴提起後におけるそれとは異なり厳格な要式行為とされているとは解されないから、弁護人選任書に弁護人選任者の署名押印がない場合でも、その署名にかわるべき表示があつて弁護人選任者が特定され、かつ、そのような表示が已むをえない事情のもとになされたものとみられるならば、被疑者保護の見地から、或いは適式な弁護人選任書として認められてもよい場合があるであろう。
しかるに、本件弁護人選任書には、前記のように、弁護人選任者の署名と認められるような記載はなく、また、それに記載されている「堀川署写真番号一〇八号」という符号文字は、それが弁護人選任者の署名と称しえないのは勿論、その記載された符号文字のみでは、署名にかわるべき人を特定するに足りる表示としても適当な表現方式とは称し難い。しかもそのうえ、右の符号文字の記載にしても、その下部に押してある指印にしても、それ自体に関する附従的、説示的な記載のみるべきものはなく、その符号文字や指印が被疑者によつて作出されたものであることを証明すべき保障的措置は何ら講じられていない。したがつて、右のような符号文字と指印とでは、これによつて弁護人選任者であるべき被疑者が特定されていると認めることはできない。そうだとすると、本件弁護人選任書は、たとえ、これに弁護士小野誠之の署名押印があつて、連署の形式がとられているとしても、弁護人選任者としての被疑者の署名またはこれにかわるべき適当な表示を欠如することに帰着し、これによる弁護人選任行為は法律上の方式に違反して無効と解すべきであるから、弁護士小野誠之を被疑者の弁護人として遇するわけにはいかないのである。
一般に、被疑者には、自己の意思に反して不利益な供述を強要されないことが憲法上保障されている。しかし、このいわゆる黙秘権は、被疑者の氏名、住所などその人違でないことを確めるに足りる事項についてもなお認められていると解すべきでないことは、つとに判例の示すとおりであり、したがつて被疑者に氏名の明示方を促すことが、引いて、その不利益な供述を強要することにはならない。されば、被疑者が黙秘の態度を維持し、自己の氏名を秘匿して弁護人選任書に氏名を明示することを敢て避けたような場合には、そのことによつて、前記のように、被疑者の弁護人選任行為が無効を来し、法律上不利益な取扱いを甘受することも、けだし已むをえない仕儀といわなければならない。
四、以上のような次第で、本件準抗告は、被疑者に対する弁護人としての資格を有しない者の、権限にもとづかない申立にかかり、不適法というべきであるから、その余の点について判断するまでもなくこれを棄却することとし、刑事訴訟法第四三二条、第四二六条第一項を適用して主文のとおり決定する。(橋本盛三郎)